軽井沢の歴史的な別荘が話題に

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その1.レーモンド夏の家が選ばれた理由とは

H(広川)今日は軽井沢の歴史的な別荘の話題を紹介したいと思います。

まず、最初に重要文化財に決まったアントニン・レーモンド夏の家。チェコ生まれのアメリカ人建築家レーモンドが1933年に別荘兼アトリエとして建てた建物で、1986年に南ヶ丘から塩沢湖畔に移築され、美術館として利用されてきました。

M(森)ペイネ美術館ね。行ったことあるわ。スロープになっているおもしろい建物ですよね。

S(佐藤)私は地元なのに行ったことがないんですよ。この機会にぜひ、行ってみたいと思います。移築する前はどこにあったんですか?

H 南ヶ丘でした。レーモンドが、新スタジオと呼ばれる新しい別荘を造った後、夏の家は企業の山荘として利用されました。私はその場所へ、宍戸實さんという別荘史家の方から案内していただいて、撮影したことがあります。外壁は今の色と違っていたと記憶しています。

リビングダイニングルームの右奥には暖炉がある

S 重要文化財は、軽井沢では三笠ホテルに続いて2件目になりますが、どういう理由で選ばれたのでしょう。

H 外壁の色も違うし、移築した時にリビングの向きを変えたりした建物なので、選ばれたと聞いたときは、こんなに変えてしまったのになぜだろうと思いました。ですが、実際、建物の見学会に行って、軽井沢文化遺産保存会の木下裕章さんの説明を聞いて、選ばれた理由に納得しました。

M なぜですか?興味ありますね。

H レーモンドは大正8年に帝国ホテルの建設のため、フランク・ロイド・ライトと日本へやってきました。ライトは帰国しましたが、レーモンドは日本に残り、宮大工から日本建築の技術を学び、コルビジェのモダニズムと融合させた、それがこの建物だったのです。日本の建築史に残る貴重な建物だということを再認識しました。

S それが軽井沢に今も残っているということがすごいですね。

左側のスロープ階段に特徴がある

H この建物の移築を勧めてくれた宍戸實さんと保存して活用してくれた藤巻進さんには感謝したいと思います。宍戸さんがこのことを知ったら驚くでしょうね。もう亡くなられて何年も経ちますが。木下さんの説明が詳しくわかりやすいので、見学するときはぜひ、解説を聞きながら見学して下さい。

M 11月23日まで見学できるんですね。行ってみます。

H 解説はいつもあるわけではないので、スケジュールをタリアセンに確認してくださいね。

写真撮影:増淵宗一(軽井沢文化遺産保存会会長) 無断転載を禁じます。

(その2へ続く)ただ今制作中、お待ちください。

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